「みじめ」になることは、いけないことなのか?

2022/07/15

俺活入門20220617/

前回、「50歳を超えて“みじめさ”を感じない9つの方法」について書いたところ、夕刊フジの公式サイト「zakzak」やヤフーニュースなどで大きな反響をいただいた。万人が感じる「みじめさ」の景色が垣間見れて、読者の心が聞こえた気がした。

なかには「みじめになったっていいじゃないか」「みじめさを感じることが、人の気持ちを理解するきっかけにもなる」といった意見もあった。今回はもう少し、「みじめさ」について掘り下げてみたい。


■みじめさを感じると思いやりの心が宿る

これは筆者自身も心当たりがある。本が売れない時は、ことごとくみじめだ。一般的には、社内人事でみじめさを感じたり、暮らしぶりなどを他人と比較して落ち込む人が多い。

みじめさをさんざん味わった末に、ひとつの光明が見えることがある。「自分のこんなイヤな感情を他人にまで押しつけてはいけない」という自覚だ。すると、人に優しくなれる気持ちが生まれ、言葉の発し方が変わったり、SNSの投稿内容も変わる。自分の「人間力」がバージョンアップするような感覚になる。


■人を応援したい気持ちが宿る

私は会社員時代、陽の目を見ずに、社内でかなりみじめな思いをした。だからこそ会社の外に飛び出して「サードプレイス推奨の本」を書きまくった。それらの書籍には、会社外で本当の自分を取り戻す方法を書きつづっている。自分のような人を世の中から救うための「奉仕の気持ち」が生まれたのだ。そう考えると「みじめな体験」は、世の中を良くするカンフル剤になるかもしれない。


■謙虚になれる

みじめになるということは、セルフイメージが下がるということ。同じ意味ではないが、間接的に謙虚にならざるを得ない。そこに学びの姿勢が生まれる。学ぼうという心構えできれば必死に吸収するようになる。結果として、自分がバージョンアップする。

私も新著を出したり、出版プロデュースや企業のブランディングなどの仕事をするたびに、いまだに先輩から怒られる。その瞬間、みじめな気持ちになるが、そこから成長や向上の糧を得ている。実際、売り上げは伸びている。意味のあるみじめさは人を成長させるのだ。


■みじめなままこじれないことが大事

一番問題なのは「みじめさを抱えたまま生きる」ということだ。みじになままで、次のアウトプットを出さなければ何の意味もない。後ろ向きになったり、被害妄想が強くなったり、人の足を引っ張ったり、ネガティブな発言をSNSで発信するようになったり…。

これではただ、みじめさの被害者だ。みじめさを転換し、アグレッシブに生きなければ、生まれてきた意味がない。みじめさからの転換は本人の決意次第だ。

  • はてなブックマークに追加

この記事のライター

潮凪 洋介

潮凪 洋介

エッセイスト・作家。著書累計70冊、168万部。「男の色気のつくり方」「もういい人になるのはやめなさい」「バカになれる男の魅力」「アナザーパラダイスの見つけ方」「自分の壁の壊し方」など。大人の海辺の社交場「芝浦ハーバーラウンジ」をプロデュース、累計7800人が参加。ライフワーククリエイト協会を設立、「会社でも家でもない”サードプレイス“で好きなことでライフワーク起業しよう」をテーマに講座を実施。


RECOMMEND

-AD-