【全文掲載】男性の健康と幸福を語り合う「男塾」第2回《お盆とかぐや姫》


男塾2-01

堀江:皆さんこんばんは。男性がより健康にはつらつとして人生を送るためのウェブセミナー男塾をご視聴いただき、大変ありがとうございます。私はこの男塾を主催しております、堀江重郎と言います。

このプログラムは、男塾運営委員会2020、そしてDANTESの共催となっておりまして、さらに日本Men'sHealth医学会、日本抗加齢医学会、テストステロン・アカデミー、生活向上WEBの開催協力あるいは後援でお届けしております。

この男塾ですけども、ほぼ毎月第3水曜日20時から、様々な領域のゲストをお迎えして、YouTube男塾のチャンネルより無料でLIVE配信を致しております。
本日のこの男塾、第2回目になります。本日は、作家であり臨済宗福聚寺の住職でいらっしゃいます玄侑宗久先生、玄侑宗久和尚さんと言ってもいいかもしれません。玄侑先生をお招きしてお届けさせていただきます。 

また、講演後のディスカッションには、健康医療ジャーナリストの西沢邦浩さん、そして夕刊フジ代表兼編集局長の佐々木浩二さんに加わっていただきます。それでは西沢さん、佐々木さんお入りください。

西沢さん、佐々木さんこんばんは。

男塾2-02

西沢、佐々木:こんばんは。


堀江:コロナ第二波になってきましたけど、お元気ですか。 


西沢:
はい、私も見ていただくとわかりますように、日焼けしておりまして、太陽に接してですね、コロナと戦っております。 

堀江:コロナには日焼けをしてビタミンDをたくさん取り入れるのが、予防という。 


西沢:
はい、多めについてるウイルスも紫外線でやっつけるという。 

堀江:やっつけると。はい。 


西沢:
(笑) 


堀江:
佐々木さんもお変わりなかったですか。 


佐々木:
私は在宅が増えてるんで、あまり日光に当たる機会がないんですけど、最近はたまに当たると焼けそうになりますねえ。やけどしそうになりますね。まあなんとかやっております。(笑) 

堀江:はい。それでは今日の講師であります玄侑(げんゆう)先生をご紹介させていただきます。


玄侑宗久

玄侑 宗久(作家・臨済宗福聚寺住職)

1956年福島県三春町生まれ。現在は福聚寺住職の傍ら、花園大学仏教学科および新潟薬科大学応用生命科学部の客員教授、福島県立医科大学経営審議委員、「たまきはる福島基金」理事長など。2001年、『中陰の花』で第125回芥川賞受賞。2012年、仏教伝道協会より第一回沼田奨励賞受賞。2014年には東日本大震災の被災者を描いた短編集『光の山』にて芸術選奨文部科学大臣賞受賞。著書多数。近著に『なりゆきを生きる』(筑摩書房)がある。

公式サイト:http://genyu-sokyu.com



玄侑先生は1956年、福島県の三春町のお生まれで、現在は福聚寺(ふくじゅうじ)のご住職の傍ら花園大学仏教学科及び、新潟薬科大学の客員教授をされております。また福島県立医科大学の経営審議委員もされています。


先生は、2001年に「中陰の花」で、第125回の芥川賞を受賞されておられまして、非常に多くの小説あるいは著書がございます。2014年には東日本大震災の被災者を描いた短編集「光の山」で、芸術選奨文部科学大臣賞も受賞をされておられます。 

男塾2-04

玄侑先生の公式オフィシャルページからいただいてきましたけども、ここ数年でも非常に多くのご本を書かれておりまして、8月27日には、「日本の仏教と十三宗派」という大変面白いご本も発刊予定となっております。8月25日には「猫はあくびで未来を描く」というご本も出る予定になってますね。
実は男塾の第3回でお招きする、マインドフルネスの熊野宏昭先生とご一緒に、この「マインドフルネスレクチャー」というご本を、2年前にも書かれていらっしゃいます。 


今日は玄侑先生から、ちょうどお盆が終わったこの1週間ですけども、先週お盆でしたけども、お盆とかぐや姫というテーマでいろいろなお話をうかがいます。 玄侑先生とは私も1回対談をさせていただきまして、まさに人の生と死、そして仏教の意味するものの、非常に深い知識あるいは洞察を持っていらっしゃる先生だと存じております。 

それでは玄侑(げんゆう)先生お入りください。先生こんばんは。

男塾2-05

玄侑:こんばんは。


堀江:
お盆の後大変お疲れのところ、今日は男塾においでいただきまして、ありがとうございます。 


玄侑:
いえ、お招きありがとうございます。 


堀江:
お盆とかぐや姫ということで、非常に興味深いお題だと思いますけども、それでは玄侑先生よろしくお願い致します。 


玄侑:
はい、背景にお盆で乗り遅れた霊たちが浮かんでいるように見えますけども、これはオーロラですので、あまり気にしないようにしてください。



お盆ってなんだろう?

 玄侑:今日は、お盆って、なんだろうということをお話させていただきたいなと思います。 

お盆の成り立ちというものがいろいろ重層的になっているものですから、すっきり解釈できない部分が多いのですけど、できるだけ説明したいと思っております。 お盆という言葉そのものですけど、サンスクリットのウランバーナという言葉から、盂蘭盆(うらぼんきょう)という言葉ができたんだという説が主流ではあります。

逆さづりの苦しみという意味なんですね。で、最近は別な説も言われていまして、古代イランのウルバンという言葉から来たんではないか、ウルバンというのは、精霊という意味です。まあどっちかはわからないんですけども、お盆というと国民的な休日になっているわけですけど。

その意味するところっていうのをまずは仏説盂蘭盆経(ぶっせつうらぼんきょう)というお経からちょっとお話いたしますけども。

お釈迦様の弟子で目連尊者(もくれんそんじゃ)という方がいたんですね。 

神通力があって、遠い場所が見通せるという方だったんですけども、その優しかった母親が亡くなりまして、神通力がありますから、今頃極楽で楽しく暮らしている様子を見てみたいと思いまして、透視するんですけども、極楽を隅から隅まで探すんですが、いないんですね。まあまさかとは思いながらも、地獄の方を眺めてみますと、餓鬼道地獄(がきどうじごく)にいたんですね。餓鬼道地獄というのは、モノを惜しめば餓鬼道地獄に落ちるという風に言われていますけども、食べ物を食べようとすると、ボッと燃え上がってしまって、食べられないという非常に苦しい地獄なんだそうです。

あんなに優しかった母親がどうしてそんな場所にいってしまったのか、納得できなかった目連尊者は、お釈迦様にそれを聞きに行くんですね。

どうしてなのか、どうすれば救えるのかということを聞きに行くんですけども、お釈迦様の答えはですね、モノを惜しめば餓鬼道地獄というわけですけども、何を惜しんだかというと、愛情なんだと。

愛情に定量があると思い込んで、よその子供も愛情を注ぐとですね、わが子に向ける分が減るんじゃないかと思ってたんじゃないかと、そのお母さんがですね。

で、あなたにとってはとても優しいお母さんに見えたかもしれないけども、よその子にとっては鬼のように見えてた部分もあるんだということを説くんですね。

まあ人間誰しもある依怙贔屓(えこひいき)という問題ですね。で、どうすればいいのかと聞かれた時に、お釈迦様は、修行が開ける日が7月15日なんですけども、その修行僧達に供養をしなさいとおっしゃったと言われております。


誰かに功徳を捧げたいと思ったときに、その人に向けてあげるだけではだめだっていうんですね、皆に供養をして、その中から母親にも行くという形しか無理だということなんですね。 

で、お盆というものはいろんなものが合わさっているんですけども、例えば7月15日というのは日本の藪入り(やぶいり)と同じ日ですよね。

同時に道鏡の三元というのがあるんですが、上元、中元、下元という風に一年間を分けた時に、中元というのが7月15日なんですね、それでお中元というのが生まれてくるわけですけども、そういうものも合わさってる。

そうやってお盆という行事が起こってくるわけですけども、肝は何かと言いますと、誰に対しても同じように愛情を向けるというのは、理想ではあることは誰でも知っていると思うんですけども、実際無理でしょうという。

依怙贔屓(えこひいき)

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依怙贔屓というのは、実際社会の安寧(あんねい)にとってはある意味必要ですよね。

我が家、我が家族、わが国、どうしたってこれは他所を全部知ってるわけじゃないんですけども、一番愛しい存在だし、一番愛情を振り向けたい存在です。ですけども、皆にという博愛というんでしょうかね、それを忘れてはいけないんじゃないかということがずっと気にかかるわけですね。

で、ならばということで、期間限定ならば博愛の行為もできるんじゃないか、ですから普段顧みもしないような者たち、いのち達ですね、そこにも愛情をその期間だけは注ごうじゃないかということで始まったんだと思うんですね。

元々は中国は非常に洪水の多い国でありまして、肥沃(ひよく)な土が上流から流れてくるものですから、川っぷちにどうしても畑をつくるんですね。

で、25里以上離れないと住んじゃいけないという決まりもあったみたいなんですけども、どうしても、もっと川べりに住んじゃうんですね。

毎年のように洪水で大勢の人が亡くなった。それを同じように供養しようということで、今の行事のもとが出来てきたという風に言われておりますけども、「地獄の釜の蓋も開く」というのを聞いたことがあると思いますが、「地獄の釜の蓋」というのは、我々が普段あまり尊重してはヤバいものっていうのがありますよね。

例えばゴキブリ、ノミ、シラミ、ダニ。これも同じような命じゃないですかっていう風に見ることはもちろん可能ですし、その通りなんですけども、そこに愛情を注ぐというのは普段できませんよね。

やっぱり我々の健康とか社会の安寧を考えると、我々はどうしても平等には愛せない。

あるいは普段忘れている先祖というのでしょうかね、大概おじいさんおばあさん、ひいおじいさんおばあさんまでは知ってるという方が多いかもしれませんけども、ひいおじいさんって実は4人いるんですよね。ひいおばあさんも四人いるんですが、四組の夫婦がどこに埋まってるのかっていうのは、ご存知でしょうかね。代を遡るごとに、倍々になっていきますから、10代遡ると1024人の直系の先祖がいるわけですね。当然今日本にいる人達はみんな親戚っていうことになる。

自分の中に血が流れ込んでいる先祖ですけども、普段は無縁だと思ってるんですね。その縁があると思ってる命も無縁だと思っている命も同じように、この際だけは供養しましょうというのがお盆だと思うんですね。


お盆とかぐや姫

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タイトルにのってきました、かぐや姫というのはですね、お盆に重層的にいろいろ影響を与えたものがあるわけですけども、古来の日本人というのは、ちょうど1月15日と7月15日。小正月、かたやお正月ですね。
それと7月15日に先祖が戻ってくるという風に思ってお祭りをしていたらしいんですね、お盆が入る以前ですね。 

そのお祭り、どこから戻ってくるのかと言いますと、お月さんですね。旧暦ですから、1月15日も7月15日も満月です。この満月から死者が戻ってくるという、その話の典型というのが竹取物語ですね。

ご承知のようにかぐや姫というのは月からやってきたわけですけども、月というのは人情の通じない国だと、で、向こうでちょっとおいたをしてしまったらしく、こちらでもう一回修行をしなおして、そのために来たんだというようなことが書かれておりますけども。

人情というのは何かと言いますと、やっぱり愛情が個別になるというんですかね、人情というのはみんなを等しく愛するってことはできないってことですね。でもこのかぐや姫は、最後近くにいろんな男たちに求愛されるわけですけども、全部振り切って月に帰りますよね。全部振り切るというところに、やっぱり博愛が生まれるのではないか。

堀江先生ご専門のテストステロンもですね、パートナーがいない人においては数値があがるっていうことがあると聞いたんですけども、そういうこともあるのかなと。ですから、利他性を促す男性ホルモンっていうものがですね、お盆の博愛において、究極的に高まるのではないか、そんなことを思ってこういうタイトルを付けた次第です。一応、そういうことでお話を終わります。


コロナと「博愛」

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堀江:はい、玄侑先生ありがとうございました。お盆が博愛というのは、今まで知らなかったと言いますか、お盆というとなんとなく先祖を敬うというか先祖が戻ってくる期間で、しかも先祖というかかなり知ってる先祖ですよね。
自分の親であったりせいぜい祖父母くらい、先程お話ありましたけど、曾祖父っていうとちょっとわからないことが多いと思うんですが。 

玄侑:ただお盆をお奉りする台の中央に置く位牌っていうのが、三界萬霊(さんがいばんれい)というんですけど、だから知っている方の位牌はその周辺に置くんですけど、あくまでも中心はだれかわからないけど、確実な仏たちが大勢いるっていう。

堀江:なるほど。そこに博愛というのがあって、期間限定の博愛がお盆というものに込められているということを今日初めて知って、非常に驚きました。
しかもテストステロンまで考えていただいて、ありがとうございます。そこに利他を気持ちを示すって、非常に面白いですね。 


玄侑:
そうですね、やっぱり実際の社会生活はそんなきれいごとは言ってられないでしょうっていう部分が大きいでしょうけども、どこかでその理想を捨てられないっていうんですか、そこがあると思うんですね。 

堀江:これは仏教系が共通していると考えてよろしいんでしょうか。


玄侑:そうですね、ただ、やっぱりキリスト教に、博愛って言葉自体はキリスト教ですよね。

堀江:そうですね、はい。

玄侑:ですから仏教にももちろんそういう考え方があるんですけど、多くの宗教にあるんじゃないでしょうかね。現実的な価値観からすれば、皆平等というわけにはいかないけれども、平等は目指したいっていうんですか。


堀江:
特にこういうコロナの時代になって、社会が分断化しそうになってきたりですね、だいぶギスギスしてきますよね。 


玄侑:
まああのコロナなんかは典型的で、みんなが感染しない状態にならないと終息しないわけですよね。 

堀江:そうですよね。 


玄侑:
自分の家族だけかからないで、周りがみんなかかってるって危険そのものですから、みんなの非感染を願わなきゃいけないですよね。 

堀江:そういう意味でいうとロックダウンよりもスウェーデンみたいに逆にいうと自然にふるまってるっていう方が、ある意味では博愛かもわからないですね。


玄侑:
自然に? 


堀江:
スウェーデンとかは全く何もしないで、みんな普通にしている 


玄侑:
これやっぱり長く続くと思いますし、そういう意味では期間限定のやり方がはたしてできるだろうかというのはあると思うんですね。 

堀江:そうですね。佐々木さん。

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佐々木:博愛、コロナと博愛というのは、日本だけじゃなくて世界中でみんなの為にということが言われていて、まさにその博愛という言葉が、世界中のつまり人類すべてに求められているのが今じゃないかなと思うんですね。

そういう意味ではこのお盆という期間だけではなくてですね、続けていかなきゃいけないし、これについて一人一人が真剣に考えていかなきゃいけないんだろうなあと。 


最初にお盆とかぐや姫という玄侑先生のタイトルうかがった時に、どういう話になるのかなと思ったんですが、お盆と博愛という風におっしゃってたので、そういう意味でこの時期に非常に合うテーマなのかなと私は思いましたけど。 いかがでしょうかね。 

玄侑:コロナのことで考えますと、家族と会話するのに、多分マスクしてる人はいないんじゃないですか?でも、家族は大丈夫だろうと思うことの根拠って、ほとんどないんですね。 奥さんも外に出かけてきて、関わったり買い物してるかもしれませんし、自分もどこかで人に会ったりしてますし。 でも家族は大丈夫なんじゃないかっていうところに依怙贔屓があるじゃないですか。 


佐々木:
はい。 


玄侑:
だから、マスクしないで会話しているために、最近家族感染が増えている。 究極は家族同士でもマスクするっていうところに行っちゃうわけですけど、これがはたして期間限定ならともかく、できるだろうかっていうのはありますね。 だから大原則はそうであっても、社会生活ってやっぱり依怙贔屓をどうしてもしてますよね。 

佐々木:まあ、家族感染は仕方ないなっていう雰囲気がまだあるのが、もしもね、家族感染で非難されるようになったら、これはちょっと荒んだ世の中になるだろうなって。
そういう意味で依怙贔屓はまだ認められてるというか、救いかなと思いますけど。 


玄侑:
依怙贔屓がないと社会は続かないですよね。 


堀江:
これはお釈迦様自体が依怙贔屓はいかんよっていうことをおっしゃっているんですか。 


玄侑:
依怙贔屓はいかんよですか。あの円覚経っていうお経があるんですけども、そこの中に、仏の振る舞いっていう仏様どうしの在り方ってつかず離れずっていうのがありますね。 だから距離的にはぴったりくっついちゃいけないんですけど、それでいて心は離れない。物理的にもつかず離れずっていう心理的にもそうでしょうね。まあただ、それができるっていうのはやっぱり家庭と関係ない不明なんじゃないですかねえ。



テストステロンとオキシトシン

堀江:先程おっしゃられたテストステロンはどっちかっていうと利他っていうか広く対象を見るっていう方向に行きますよね。 逆に今特に女性ホルモンに関係するオキシトシンというホルモンあるんですけど、元々これはおっぱいをお母さんがあげている時に、お母さんもオキシトシンというホルモンがたくさん出てるという授乳のホルモンで、それを吸ってる赤ん坊もですね、非常にこのオキシトシンというホルモンが出まして、人を思いやる気持ちが出てくると。 


この思いやる気持ちっていうのは、およそ人を思いやるというよりも、自分が思いやりたい人を思いやる力なんですね。 

玄侑:そうでしょうね。 

堀江:ええ、ですから自分に非常に近い人を思いやるというのがオキシトシンで、どっちかというと社会とか人類全体とかあるいは国全体とか広めの意識というのはテストステロンということになっていますね。

玄侑:ただ先生、あのテストステロンの分泌量が高まると自動的にオキシトシンも増えると聞くんですが。


堀江:ええ、あのテストステロン、例えばですね、ヨガみたいな、あるいは瞑想もそうなんですが、これはテストステロンもオキシトシンも両方ふえてくるんですけども、テストステロンだけを例えば外から増やしても、オキシトシンが同時に増えてくるわけじゃないんですね。 

玄侑:ああ。 


堀江:
ええ、ですからまさにその瞑想とかマインドフルネスとかヨガというその瞑想プラス心身のストレッチのような神経の活性化が起きたりすると、両方増えてくると言われています。 


玄侑:
両方増えてくる状況というのがあるんだと。 

堀江:おっしゃる通りです。両方増えてくる状況があるので、どっちかというとテストステロンが増える場合は、バソプレシンというおしっこを濃くするホルモンが増えてきまして。よく犬が電柱におしっこしますよね。


玄侑:はい。

堀江:あれはバソプレシンというホルモンですが、これは要するにテストステロンの下流にあって、テストステロンが動いてると、なわばりが増えてきて、濃いおしっこを出して匂いを付けると。


玄侑:なわばり意識が増してくるんですかね。 

堀江:なわばり意識は増してくるんですね、どっちかというと。これは全然博愛というよりは、陣地取りですね。
自分の場所を取りたいという。そういう気持ちと自分の利益じゃなくて自分が属してるなんらかの組織について考えるというのがテストステロンですかね。 


玄侑:
博愛というのは、やっぱり動物に求めるのは無理ですね。 


堀江:
無理ですね。 


玄侑:
人間だけが持ちうるユートピアっていうんですかね、ある意味で不可能な理想世界じゃないでしょうかね、だからその不可能な理想世界っていうのは、目指すとすると永遠に目指せるっていう。 叶いましたっていうことがおこらないですからね。 


堀江:
なるほどなるほど。永遠の目標なんですね。 


玄侑:
そうですね。これを毎年やってるんじゃないかなって思うんですね。 


堀江:
そういう意味では毎年やるって現実的で、年がら年中博愛っていうと疲れちゃいますね。 


玄侑:
無理だと思います。 

全員:(笑)


堀江:
右側打たれたら左側出すのが博愛かっていうのが難しいですけど。 

男塾2-11

西沢:私が一番最初に聞いたのはですね、スウェーデンとかでやっているタクティールケアっていう末期のガンの患者さんを、指一本一本ずつマッサージしてあげることで痛みが消えるっていうケアがあって、なんでだろうっていう話になって調べたらそのオキシトシン。
静かに静かに指一本ずつなでてもらうことで、身体の中にオキシトシンが出て、そうすると痛みが消えていくんだと。 それが一つの体系になっていると聞いてびっくりしたんです。 その後でオキシトシンって一番わっと出るのは、お母さんが赤ちゃんを産む時、がーっと締めて産道から押し出す時に出るんだよっていう話とか、おっぱいを出す時に出るんだよと。 


それを聞いた時に、赤ちゃん産みだす時に一番出るのか、しかもガンの患者さんを撫でてあげた時に、ガンの患者さんの中で出るのかってうかがって、なかなかすごい深いホルモンだなっていうか。 


まさに玄侑先生がおっしゃった人ならではのと言いますかね、ある意味本当に新しい命との接点とか、この世から消えゆく命との接点とか、そういうところで威力を発揮するホルモンというのが、実は私たちの手当とかですね、もしくはお母さんの産道の中で出てくるというのにすごく感動したことがあります。 


またそのテストステロンの関係を先程お話されてたとおもうんですけども、確かにそういう気持ちを持つ時に、もしかしたら女性の中では産道から赤ちゃん産みだす時にテストステロンも高まってるんじゃないかなという気もするんですね。 


世の中と戦う究極のシーンなわけじゃないですか。なんかそういうホルモンってどっかで関連し合いながら、私たちの人間らしさを作ってくれてるのかなあって、気がしました。 

玄侑:今の話で思い出したんですけども、ここは男塾じゃないですか、女の人が見てはいけないわけじゃないですよね。


堀江:もちろんもちろん。 

玄侑:昔から宗教施設とかで女人禁制ってありますよね、あの女人禁制というのはどういうわけかご存知ですか? あの、いろいろなところはありますけども、概ねですね、実は女性が持っている能力にものすごいあこがれてるところがあるんですね。 


一番は何かと言いますと、胎内に宿った子供って、例えば血液型が違うってこともあるわけじゃないですか。 通常は排除すべきものですよね。ところがそれを胎盤の絶妙な仕組みで、血液型の違いを超えてですね、栄養を与えられる、これこそ慈悲じゃないかと。 


仏教の考える慈悲というのは、異物でさえはぐくんでしまう能力ではないかという風に考えたんですね。 


例えば女人禁制だった羽黒山とかですね、あまりこれ言っちゃいけないんですけども、山伏たちが修行で何やってるかというと、山の上まで登って胞衣(えな)ってご存知ですか? それに当たるものを体に巻き付けて、生まれ直す、で、おぎゃあと叫ぶ、こんなもの女の人に見せられないでしょ? 


全員:
(笑) 


玄侑:
あまりにも恥ずかしいので女人禁制にしたという。 


堀江:なるほど。 


玄侑:
だから意外に誤解されてるんです。女人は入ってこないようにっていうのは女性差別じゃないかっていう風な見方をする方がいるんですけども、あるいはそういう説明しかできないところがあって、でも実はたいがいはそうではないんですよ。 女性に見られたらとっても恥ずかしいので見ないでくれっていうね。 

西沢:それは女性の、男性がどうしても近づけない領域を追体験すると言いますか。 


玄侑:
そうですね。まあ子供を産むっていうのは絶対にできませんから。 その産む真似ではないんですよ、自分もそういう慈悲をもって、もう一回生まれ直したい、それを実際修行の形に取り入れてるわけですね。 


堀江:
再生みたいに。 


玄侑:そうですね。 


西沢:
最近胎生医学ですごい感動したことがあるんですけど、胎児がいるじゃないですか。 そしたらどうも胎児の細胞がお母さんの身体の中に入ってるらしいんですね、それがお母さんの身体の中に留まり続けてですね、お母さんの認知症のリスクを下げたり、いろんなことをするらしいんですよ。 それっていわゆる精子から行った、男性のDNAが入った細胞がお母さんの身体の中には子供を通していくってことですよね。  これって輪廻みたいなと言いますか、それを聞いた瞬間、あ、男はもう女性にはかなわないんだなって。 


全員:(笑) 


玄侑:
我々は奇形だっていうわけですね。 


堀江:
いやいや 


西沢:
だから優しくなれるなと私は思ったんです。これはもう女性は大切にする以外にない。 


堀江:
そういう意味ではアダムとイブで言うとですね、イブはアダムの肋骨の骨からっていう変な話がありますが、全然人間のプロトタイプっていうのはあくまでも女性で、男性っていうのはそこにたまたまY染色体が来たので男性になってきたと、まああくまでやっぱり女性ですよね。 


玄侑:
自在に往復できる生き物がいますよね。 


堀江:
いますね。 


玄侑:
太ってくると雌になって痩せてくると雄になるっていう 


堀江:
環境によって変わる生き物がいますね。 


玄侑:
あれはいいですね。 


堀江:
(笑) 


玄侑:
バイセクシャルと言いますか 


西沢:
本当になんかそう考えると男ってそういう意味では、本来女性だったのに男になっちゃった性なわけじゃないですか。 


堀江:
はい。 


西沢:
だったらもう、もっと自由でいようよっていうんですか、開き直りっていうんですかね。(笑) 


堀江:
うん、開き直りですね。 


西沢:どうせ女性にはかなわないんだし。我々は我々なりに開き直ってですね。 楽しく元気に生きるしかないのかなって。(笑)気もするんですよ。行きすぎでしょうか。 

佐々木:そういう男性の方割と幸せな方で、堀江先生と我々夕刊フジ、夕刊フジのDANTESが、この男塾を一緒に始めましょうという風にしたきっかけというのは、特に中高年の男性ですね、50代とか60代の男性というのが、まあ女性に比べて、同年代の女性に比べてあまり幸せそうじゃないというか、はっきり言って楽しみもないし、不幸だっていう。


そういう意味で一つはテストステロンっていうのもあるんだけど、全体的に男性の幸福度をアップするためには一体どうすればいいんだろうかというところで、このセミナーが始まってるところあるんですよね。 


あの、玄侑先生は、男性は今の男性って幸せだと思いますか、不幸だと思いますか。(笑) 


全員:(笑) 


玄侑:
まあそこは細かい言及は避けたいところです。やはり旦那さんが亡くなった後の奥さんの平均余命が17年になってると。 


全員:
ああ。 




玄侑:
一方、奥さんがなくなった後の旦那さんは平均2年後に亡くなるんですね。 


佐々木:はい。 


玄侑:
初めから多少の年齢差があるけど、やっぱり完璧な感じしますよね、


佐々木:
男ももう少し長生きするためにはどうしたらいいかなという話なんですけどね。(笑) 


玄侑:
一番思うのは、女性が自然に近いんじゃないですか。男性はやっぱり、例えば男に二言はないとか、気が変わったんで二言目言いますっていえばいいのを言えないんですね。やっぱりそういう風に志した以上、気が変わったなんて言えないっていう、そこは非常に不自由だと思いますね。 

男の美学の多くが、こういうのに支えられてるというか、やせ我慢してはたしてテストステロンが出るんだろうかとか、気になりますね。 


堀江:
むしろ女々しいって言われるような事の方が幸せかもしれないですね。 


玄侑:
ああ(笑) 


堀江:
ところで先生、かぐや姫ですけども、かぐや姫はどうしてみんな振り切っちゃったんですかね。まあそうせざるをえなかったんでしょうけど。


玄侑:
これは想像ですけども、月からこちらに来たのは罰として来てるんです。 


堀江:
うんうん。 


玄侑:
罰でこちらで再び修行をして、ちゃんとできたら殺してやるという話だったと思うんですけども、おそらくですね、 博愛を通さないと、だからお月さんは人情が通じない国だって書いてあるんです。人情っていうのは、特定の人を愛してしまうってことでしょ。 


堀江:
うんうん。だめです。 


玄侑:
だからだれかを選んで結婚したのでは、かぐや姫になれないし、月に戻れない。 


堀江:うんうん。なるほど。 

玄侑:それはそれで幸せに暮らしましたという話にはなるでしょうけども、全員を振り切ってかえっていったっていうことが素晴らしいし、日本で最初の物語ですもんね、竹取物語は。 


西沢:
玄侑先生、男にとっての教訓はなんなんでしょうかそれは。 


全員:(笑) 


西沢:
何をやってもなんかこう置いて行かれてしまうという。 


堀江:
(笑)博愛主義の人に気をつけろっていう。 


全員:
(笑) 


玄侑:
無駄な努力っていうのがあるってことでしょうね。努力すれば何でも叶うとは思わない方がいいと。 


堀江:
みんな努力させられちゃったわけですよね。 


玄侑:
そうですね。 


西沢:
相手がそういった形で行かれたりすると、一種振られても救いはあるような感じはしますよね。(笑) 


玄侑:
うん。 


西沢:
そうしないと生きていけないというか。(笑)竹取もそうなんですけど。なかなか結局報われないという、なんかここから学ばないと。 


堀江:
まあかぐや姫のお題がやっぱりそれぞれ競わせるというか、無理難題出してるんですが、それを達成しようとして、それは私欲のために達成しようとしているわけですよね。 なんとなく。 

玄侑:まあそうですね。 


堀江:
そこをなんとか博愛の気持ちを表す男性が登場したら、かぐや姫は(笑) 


全員:
(笑) 

玄侑:いやあ、一緒に月に行っちゃいますね。 


堀江:
一緒にですね。 


玄侑:
ということは死ぬってことですからね。 


堀江:
そうですね、死ぬってことですよね。博愛の気持ちを本当に漏った時っていうのは次の世界に旅する時かもしれないですね。 


玄侑:
やっぱり結婚生活と博愛っていうのは両立できないんじゃないでしょうかね。 


堀江:
そりゃそうですよ。 


全員:
(笑) 


玄侑:
両立しようとしたのがガンジーじゃなかったかな。 


堀江:
ガンジー、うんうん。 


玄侑:
で、それを目指すと不幸になるというか、期間限定だからこそ可能なのかなと。 


西沢:
それは、お盆がそういう博愛だとすると、昔収穫祭の時って、無礼講みたいないわば全てが全ての人に対する博愛というか、フリーな時間というのがあったじゃないですか。それとのお盆の博愛とのバランスみたいなのって何かあるんですかね。 


玄侑:それは祭りですよね。 


西沢:はい。 


玄侑:
祭りっていうのは、やっぱり普段我々は序列の中で生きてるわけじゃないですか。ところが祭りというのは神様の下でみんな平等になるんです。 部長も課長も新入社員も関係なく、神輿かつぐじゃないですか。その序列を外した自由さっていうそういう時間を、やっぱり期間限定で持つっていう。 


堀江:
なるほど、無礼講になるんですね。 

西沢:そういう期間限定がお盆の博愛とかそういう肩書ないの期間とかそういうのがちゃんとときどきに社会の中に含まれる日本のスケジューリングって言いますか、

玄侑:そういう晴れの時間に鬱屈したものを解消して、また日常に戻っていくっていうそういう工夫なんだと思いますね。

佐々木:先生、博愛とボランティアっていうのは、まあたぶん違うと思うんですけども、同じように考えてる人が結構いる、言葉としてですね、いらっしゃるかもしれないんですが、これ違いはどう思われますか。

玄侑:東洋にはボランティアというのは基本的に発生しなかったと思うんです。
輸入しましたけども、あれはキリスト教圏で生まれた言葉ですよね、で、ボランティアって何かと言いますと、神の似姿を持った人がスタンダードですよね。 


ですから五体満足ってスタンダードがあって、どこか一つ欠けている人をハンディキャップとして。 ハンディキャップっていうのは、例えばまあ耳が聞こえないのでも、目が見えないのでも、キリスト教的には間違いなく手を差しのべるべき相手なんです。だからかわいそうって言ったら、そう考えるべきなんです。 


ところが、東洋は、例えば目が見えない人は、目明きには見えない世界が見える、耳が聞こえないって言っても、ものすごい感がいいんだよって。 

堀江:うんうん。


玄侑:
単純に劣ってるという風に見ないんですね。 


堀江:
うんうん。 


玄侑:
だから手を簡単に差し伸べるのは失礼だと思ってるふしがあって、だから日本にはボランティアが発展しなかたと。 


西沢:
ということは、先生、博愛というのはどっちかっていうとそういう、いわゆるハンディキャッパーも対する優しい気持ち、日本が持ってきたそういう伝統というのがどんな人でもある程度の才能があるというか平等思想というか、なんとなく博愛と平等思想みたいなものって、どういう風に社会の中で天秤にかけられていくのか。 


玄侑:あの平等っていうのは自由っていう言葉を明治時代に日本人が輸入したときにですね、自由だよって言って自由競争になるわけですよ。負けそうになった時に、人は平等だって叫ぶんじゃないですかね。 


全員:
(笑) 


堀江:
例えばそれで地獄の釜の蓋が開くというか、いろいろな悪人に対しても博愛を持つ期間がお盆とおっしゃいましたけど、例えば親鸞じゃないですけど、悪人でも。 


玄侑:
善人なおもって 


堀江:
往生を遂ぐ いわんや悪人をや」ってこれも博愛なんですか。 


玄侑:
要するに阿弥陀様の目線で見れば、なかなか人間にそう見るのは難しいと思いますけどね。 


西沢:でも昨今その親鸞上人の思想が結構重宝されるっていうのはやはり、なんらか社会がそういった博愛を覚えているっていうところなんですかね 


玄侑:
特に男性はどこかで気になってるんじゃないですかね。現実には無理なんだけども、無理だとわかってるけども、それを目指すってある意味そこに美が生まれるっていうんですか。 私ら道場でご飯食べる時に、茶わんを傾けるなって言われたんですね、箸は垂直に保てって言われるんですね。それ最後のを食べるの不可能なんですよ。 


西沢:
うん。

玄侑:でもその不可能なものを目指しているっていうのは、ほんとにずっと続くんですね。 続けられると言いますか。仏教的な誓いもそうですし、キリスト今日の聖句にもやはりありますけども、不可能なことを、右を撃たれたら、左を出すということだと思いますけども。それは無理ですけども、でも目指したいと。目指すことで何かが変化するんだと思いますね。テストステロンが出るのかどうかわかりませんが。 


堀江:
親鸞という人はまさにミスターテストステロンですよね、まあものすごく長生きもするし、非常に性欲が強かったっていう。 


全員:
(笑) 


玄侑:
というかやっぱり真っ正直な方ですよね。実際に周りに結婚している坊さんとかいたわけですから、それを初めて公然とですから。 

堀江:公然と、うんうん、いさぎよいですよね。

玄侑:そうですね。あの面白いなと思うのは、さっきの目連尊者(もくれんそんじゃ)の母親を救うのに、修行僧達に供養しなさいってお釈迦様がおっしゃるんですね。修行僧達って、テストステロン高くないですか?


堀江:
高いですよ。 


玄侑:
パートナーのいない暮らしをしてるし、体も使ってますし、だから利他性って非常に強いんじゃないでしょうか。そこに供養しなさいっていうのはとてもよくわかりますね。 


堀江:
うん 


玄侑:
そういう修行僧のあり方が続いてほしいと思いますね。 


堀江:
うん、ほんとに修行というか中で、いろいろな雑念がそぎ落とされていくっていうのはまさにある種テストステロン的な生き方ですね。 


玄侑:
ああ、無理難題をふっかけられてってありますけど、それもやはりテストステロン。 


堀江:
やっぱりチャレンジしてくっていうのがテストステロンですから、日常に満足して、日常の惨事の中に不明していくっていうのはあまりテストステロン的ではないでしょうね。 


玄侑:
やすらぎのセロトニンというのはどうなんでしょう。 


堀江:
やっぱりセロトニンというのは満足した時ですよね。ですからその満足度は、テストステロンが高い人も低い人もそれなりの満足、例えば美味しいものをスイーツを食べるとか、そういうのでセロトニンって上がってきますから、逆にセロトニンが出ないと、絶えず例えばテストステロンが高いとカラ元気になって、車がどんどんどんどんヒートアップしてしまうような感じになるかもしれないですね。 


玄侑:
座禅ってセロトニンが出るという話ですよ。 


堀江:
ええ、そうですね。ですから。修行されるというのは、いろんなホルモンが出てくるものすごい体験ですよね。 


玄侑:
ああ。 


西沢:昔から日本人て、腹言葉ってあるじゃないですか。腹に落ちるとか。今のそのセロトニンの話ですと、量的に言うと、脳より8割くらいセロトニンを作ってるって話聞くと、日本人の感覚ってやっぱり腹におちるっていうのは確かなことなんだなって。二日酔いとかすると、町内のセロトニンが一気になくなったっていうんですね。

全員:(笑)


西沢:ああ、なるほどこれかあっていう感じがして。まさにこれも腹に落ちるっていいますか。 


玄侑:
ああ体験的な。 


西沢:
天秤をそこで取るって言いますか(笑) 


堀江:
そうですね。まあ腸と脳の関係っていうのが最近非常に注目されてますから。食べるものによってもだいぶ変わってくると思います。 


玄侑:
腸管の延長線上に脳が出来たという人もいますよね。 


堀江:
そうですね。 


西沢:
最初にあの筒みたいなやつが全部腸じゃないですか、ですからいまだに神経の方の腸の方が脳よりもちょっと密なくらいですよね。 だから元々は腸だけで入ってきた食べ物だけを食べて生きてた生き物がある時食べ物が取りにくくなったんで脳をつくっっちゃったっていう風に、腸の先生たちは大体そう言いますよね。 


堀江:
そうですね。イソギンチャクとか腔腸動物っていう腸の方が立派ですよね。 


玄侑:
人間も腸の中の最近とかウイルスもありますよね。 


堀江:
はい。 


玄侑:
これって全部はわかってないんですか。 


堀江:
全部はとても分かってないと思いますね、数だけでも人間の細胞の何万倍っていう風にありますし、ものすごい数の遺伝子がありますから。 


玄侑:
他の生き物が腹の中に生きてるわけですよね。 


堀江:
そうですね。 


西沢:
私たちの身体を構成する細胞数よりも多いわけですよね。なんなんだって感じですね。 


玄侑:
偉大なものを持ってますね。 


堀江:
はい、あっという間に一時間がたってしまいましたけども、本日はお盆とかぐや姫ということでテーマに、玄侑宗久先生をお招きしてお話をさせていただきました。今日ご視聴いただいたみなさんの幸せにもこのお話が繋がるといいかなという風に思います。 

西沢さん、佐々木さん、感想いかがでしょうか。 


西沢:
私はもう途中でパソコンがダウンしたときから、私は何か抱えちゃってるんだなと、後半の方の話うかがってですね、男の生き方改めて考えたいと腹から考えたいと思いました。ありがとうございました。 


堀江:
佐々木さん、どうでしょうか。 


佐々木:
普段博愛って言葉を使うこともなければ考えることもないですよね、それが繰り返しになりますけど、コロナのことで、言葉として出すかどうかはともかく意識するようになった。そういう意味で博愛というのがこれからのキーワードなんだなと思いました。 


堀江:
玄侑先生最後、テイクホームメッセージ何かございましたらお願いします。 


玄侑:
お盆毎年くるので、実はそういうことでやってるんだよということを、おもいだしていただければと思います。 


堀江:
玄侑先生ありがとうございました。来月は9月16日午後8時から、早稲田大学人間科学学術委員の熊野宏昭先生をお招きいたしまして、マインドフルネスの目指すものということで、お届けしたいと思います。 


本日最後までご視聴いただきました皆様にお礼を申し上げたいと思います。次回9月16日午後8時からまたこの男塾でお会い致しましょう。今日はどうもありがとうございました。 

玄侑先生ありがとうございました。 


玄侑:
ありがとうございました。 

※2020年8月19日にライブ配信されたものです。

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