性について発信している私が吉原遊郭跡を訪ねて思ったこと

2021/06/08

幸せおじさん2021年6月8日2

人生で初めて吉原遊郭跡に行きました。

19歳で吉原に売られた花魁の森光子さん(女優とは別人)による著書『春駒日記 吉原花魁の日々』(朝日文庫)を1年ほど前に読みました。性について発信している身として、回ってみたかったのです。偶然近くで予定があり「この機会を逃すまい!」と散策することにしました。

まず訪れたのは、吉原大門の「見返り柳」。歌舞伎や落語などでも有名ですよね。遊んだ男性が、名残を惜しんで振り返ったことから呼ばれるようになったようです。

幸せおじさん2021年6月8日1


続く、「五十間道(ごじゅっけんみち)」は綺麗にS字カーブになっていてその先が見えません。将軍や大名が街道を通る際に遊郭を見渡せないようにするための配慮だったようです。

吉原遊郭付近まで近づくと斜面があるのですが、この斜面は「お歯黒どぶ」と呼ばれる吉原の周りを囲んでいるお堀の跡。もともとお歯黒の残りを捨てていたからこの名前がついたそうで、この堀により遊女たちの脱走を阻んでいました。

当時は借金のカタに売られてしまった女性が多く働いていたので、女性が逃げ出さないようにするための管理は、特にしっかりしていたのですね。入り口の「吉原大門」は、男性こそ出入りが自由で冷やかし客も多かったといいますが、女性は別。遊郭から出るには、料理店で働く女性でも芸者の女性でも通行手形が必要でした。

現世では、さまざまな女性たちが声をあげてきた積み重ねで、セックスワークを強制されることはほぼなくなったと思います。ただ、当時の性産業にまつわる暗い印象は染み付いているのか、「性産業を選ぶ人は何かしら暗い事情がある」と思われてしまうことも少し寂しいなと思います。

初探訪の締めくくりは、吉原神社へ。遊郭の守護神として祀られていたようですが、女性たちはどんな思いで手を合わせていたのだろうかと、思いをはせました。そして、もっと深く遊郭の歴史を知ろうと決意しました。

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この記事のライター

工藤 まおり

工藤 まおり

フリーランスライター。津田塾大学数学科卒。大手人材会社を経て、セクシュアルウェルネスメーカー、TENGAの広報に転職。女性向けセルフプレジャー・アイテムブランドirohaのPRなどに携わった後、この春フリーランスに。PR業務、恋愛・性・キャリアに関するコラムを執筆。


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