【男の生き方、人生の楽しみ方】第3回「江戸理さん(会社員、エドヤガレージ・オーナー)」

2021/02/11

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新型コロナウイルスによる災禍は、DANTES世代の働き方や社会の在り方に大きな変化を及ぼした。不幸な出来事であることは間違いないが、「これまでの生き方を見直す機会を得た」と考える人も多いのではないだろうか。

特に昭和生まれのビジネスマンは会社人間であるのが普通で、会社での顔以外に別の顔をもつことができないままリタイアする人が多いのが現実だった。

だが、いまや人生100年時代である。

リタイア後も自分らしく生き切るには、置かれた環境に流されて暮らすのではなく、先を見据えて「もう一人の自分」と真摯に向き合うことが大事だ。

そこで今回は、40代半ばに「もう一人の自分」を見いだし、家庭と趣味を両立させ、地域の顔としても活躍している現役ビジネスマンを紹介したい。



順風満帆なサラリーマン人生から40代で挫折を味わう

東京から湘南新宿ラインに揺られて約1時間、相模湾に面する神奈川県・二宮の駅に着いた。改札には8歳になる息子さんとツナギ姿の江戸理(えど・おさむ)さん(55)が待っていた。

一見、地元の自動車屋さんのように見える江戸さんだが、実は都内の大手文具メーカーに勤める現役ビジネスマンである。

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江戸さんに案内され駅から歩くこと2〜3分、「エドヤガレージ」に着いた。ここが江戸さんの自宅だ。駅前商店街にあった書店兼文具店を改装した建物だが、1階がガレージのため、エドヤガレージの名前をつけている。だが、ただのガレージではない。そこには、江戸さんの人生の相棒とも言えるケータハムカーズ(英国)のスーパーセブン、ポルシェのボクスターにフィアット500をベースに流麗なボディを身にまとった希少な1965年式のフランシス・ロンバルディ・コッチネッラが整然と収まっていた。

さらにガレージには、各種の工具やミニカー、看板類のほか、古き良き時代の雑貨類、真空管ラジオなどが所狭しと並んでいる。

もちろん、ここはれっきとした江戸さん一家の住まいだが、1階のガレージを開けていると地元の人が気軽に声をかけていく。昔からそこにあるお店のような雰囲気だ。

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実際、ここで定期的にガレージセールを開いたり、江戸さん自身が地元の神輿会に参加するなど、地域に根ざした日々を送っている江戸さんだが、最初からそれを狙って二宮の地に移り住んだわけではないという。

もともと江戸さんは、「バリバリ野心家のサラリーマンだった」と言う。

大学のデザイン学部を卒業後、大手文具メーカーに就職。持ち前のバイタリティーと前例を恐れないチャレンジ精神で突っ走ったそうだ。

「例えば、旧態依然としていた手提げ金庫のリニューアルでは、使用実態を徹底的に調査してサイズを変更したり、従来の鉄板プレス形成を樹脂化することで軽量化し、内壁を一体形状とすることで隙間にお札や帳票が挟まる不具合をなくすなど様々な提案をしてヒットさせました、あの頃は怖いもの知らずで、とにかくがむしゃらに前を向いて突っ走ってました」

2000(平成12)年ごろにはSOHO向け家具の通販事業プロジェクトに取り組んだ。

「メンバーは10人ほどでしたが、その中でデザイナーは僕一人、。カタログの企画制作から商品MD、新製品の開発も一人でこなさねばならず、毎日、朝から深夜まで仕事に忙殺され、休む暇もありませんでした。でも、新たなチャレンジでしたから苦痛ではなかったですね」

そんな日々の残業のおかげ(?)で「毎月の給料はボーナス並みだった」という江戸さんは、2年分の残業代を元手に、ずっと気になっていたスーパーセブン40thアニバーサリーをこの事業に携わった記念として購入したという。

仕事に忙殺されながらも充実した日々。欲しい車も手に入れて、何も不自由を感じない、いや感じる暇もない日々だったのだろう。

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だが、15年ほど前に転機が訪れる。

「それまでは会社もプライベートも充実した生活を送っていたのですが、ちょうどその頃に離婚を経験し、ほどなく両親も他界。そのうえ、任されていた事業が失敗に終わり、会社での地位も失いました。『自分には何も残ってない』『何をしたらいいのかわからない』『何のために生きていけばいいのかわからない』と思い、どん底の時期でした」

「会社を辞めよう」と本気で考えたそうだ。

人生は山あり谷あり。若さと勢いに任せてグングン突っ走った分、その反動は大きかった。

そのころ、江戸さんは「従流志不変(じゅうりゅう こころざしふへん)」という言葉と出合う。

「難問を前に立ち往生したら一旦流れに身を委ねよ、ただし志は忘れるな、という意味です。僕の会社の先代会長が『流れ星への願い』という言葉をよく口にしていました。よほどの思いがなければ、星が流れる一瞬にその願いを口にすることはできないという意味です。その言葉ともよく似ているなと思いますね」

「それまで、なりふり構わず自ら道を切り開くことを信条としていた自分には縁のない言葉と思っていましたが、いろいろな挫折が重なった時にこの言葉に出合い、一旦、周りを静観することができました。いろいろな気づきにもつながりました」

「従流志不変」は、臨済宗大徳寺最高顧問だった立花大亀氏が、井植敏・三洋電機元会長に贈った書に書いてあった言葉。井植氏は当時、創業者の父親を亡くし、苦しい事業を抱え、立花氏に相談したところ、この言葉を贈られたという。

人生には節目節目に気づきがあり、成長する機会が訪れる。

それを見過ごして年を重ねてはならないのだろう。

キャリアを生かしてもう一人の自分を生きる

離婚を機に、江戸さんは横浜市・鶴見の社宅から引っ越す。

「もともとクルマが趣味の僕は、機会を作っては箱根をドライブしていました。それがきっかけで西湘地区に多数友人ができていたので、西湘あたりで暮らそうと地元の不動産屋を訪ねたのです。そこで最初に案内されたのが二宮のインナーガレージ付きの集合住宅でした。二宮という町はまったく知らなかったのですがインナーガレージを一発で気に入り、後先考えずその場で契約し住み始めました。即断即決でしたね」

二宮で暮らすようになった江戸さんは、そこからいろいろな人と出会う機会を持つことになる。

筆者は、人生はプラスマイナスゼロと思う。大きな逆境の分だけ大きな幸運が訪れる。だが、幸運を取り戻すには、逆境の時に腐らず、自暴自棄にならないことが必要なのだとも思う。

江戸さんは「流れに身を任せ、一旦『間』を置いてみた」。そうすることで、流れが良いほうに変わってきたのだろう。

「引っ越し後、今の妻と出会い、家庭を持ち、子供ができました。それまでの借家ではさすがに手狭になり、1年ほどいろいろな物件を探した結果、二宮の商店街のこの物件に出合い、ここをガレージハウスに改装したことで、地域とのコミュニケーションも持つようになりました。そんななかで、この地域のポテンシャルの高さに気づき、二宮の地を活性化させるためのアートプロジェクトにつながっていったのです」

新しい出会い、新しい自分を発見する機会を得たのだ。

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ガレージハウスを改装した際には、スーパーセブンを愛好するオーナー同士がいろいろ手伝ってくれたという。仕事以外の引き出しが多いと、なにかと助けてくれる仲間のネットワークが増えるのだろう。

そんな江戸さんの数あるネットワークの中でも注目は、彼が支援しているアートプロジェクトだ。

このプロジェクトの仕掛人は、数年前にこの地にギャラリー「8.5HOUSE(ハッテンゴハウス)」を構えたアートディレクターの野崎良太さんとアーティストの乙部遊さんである。

「For Next Generation」をテーマに活動している彼らは「アートでこのエリアに彩りを与え、活性化し、他のエリアからも注目されたい。そのことで、このエリアに住む若い世代が地元への誇りや愛着を持ってもらいたいのです」と2人は言う。

この活動は「AREA8.5(エリアハッテンゴ)」という名称でネット上でも積極的に発信されている。前述の「8.5HOUSE」のギャラリー名と由来は同じで、東海道五十三次の8番目の宿が大磯で9番目の宿が小田原なので、その中間、つまり「8.5番目」のエリアということだ。「8.5HOUSE」は、設計した建築家が考えた名称だが、このネーミングに共感した2人は、アートプロジェクト名にも「8.5」を使うことにしたのだという。

エドヤガレージのシャッターや壁面にあるアートもその一環。乙部さんが描いたものだ。

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江戸さん(中央)と意気投合した乙部さん(左)と野崎さん(右)

ここで、2人の物語を少々。野崎さんは大学卒業後、海外で飲食業などに携わった後、帰国。様々な仕事にチャレンジした後、2017年に高校の同級生だった乙部さんとアートの事業を始めた。

一方の乙部さんはニューヨークでアートを独学で学び、現地のYMCAが初めてつくったアートギャラリーのオープニングで個展を開くなど活躍してきたアーティスト。

2人は30代後半だが、「なぜ日本のアートはこんな閉鎖的なのだろう?」「もっと日常に落とし込んで、アートのハードルを下げられないだろうか?」という想いが一致してこの事業を始めたという。

だが、保守的な日本で30代の2人の活動を地域に浸透させ、広げていくのは容易ではない。

そこで、江戸さんの出番がまわってきた。サラリーマンとしてのキャリアや培った交渉能力、人脈の広さ、知見をこの活動に生かすことになった。

もともと二宮の地が持つ高いポテンシャルに気づいていた江戸さんは、すぐに2人と意気投合した。「AREA8.5(エリアハッテンゴ)」の理念を構築したうえで、プロジェクトの概要を地元の仲間に紹介。自身のSNSやガレージセールの場でも発信している。アートプロジェクトも、まずはエドヤガレージのシャッターや壁から実施するなど、プロジェクトの中心人物として活躍している。

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傷心の身でたまたま住み始めた地だったが、今では江戸さんはこの地になくてはならない存在となっているのだ。

野崎さんも乙部さんも「江戸さんの生き方、考え方が好きです。そういう人でなかったら交流していないと思う」と語る。

たしかに、江戸さんがただの週末田舎暮らし的なサラリーマンだったら、二宮にいてもアートプロジェクトに関心を示さなかったかもしれない。そもそも、典型的な会社人間だったら、彼らに頼りにされる存在にはなっていなかっただろう。

人生に無駄な時間、無駄な経験はない。必要なのは「志」を貫くこと

今年で55歳になる江戸さんは多くのものを得てきた。突っ走ってきた会社人生で得たもの、その後の挫折で失ったと思っていたが実はそこから得たもの。多くの経験がが江戸さんの人生を充実させることにつながっている。

そんな江戸さんの生き方はDANTES世代の読者にも参考になるはずだ。

魅力的な男は、諦めず、腐らず、逆境すら糧にして前に進む。それこそが、DANTESのテーマでもある「男の再始動」だ。再始動のための“ガソリン”は、これまでの人生に費やしてきた時間と経験。その時間と経験をどう生かすか、に今後の人生は左右される。

特に、今のような先の見えない時代は、何よりも自分自身に向き合うことが大事だ。

「志や目的、目標がはっきりとしていれば、人生に無駄な時間や経験はないというのが今の信条です。人生100年。まだ先は長い。この先、迷ったり、どうしようもなくなった時には一旦静観し、流れに身を任せてみるのもいい。志さえ忘れなければ今まで見えなかったこと気づかなかったことに出会えるかもしれない。そんな時間も必要です」と江戸さんは言う。

社畜のように働き、会社と自宅を往復するだけの人生には何も残らない。子供たちや若い世代からもリスペクトされない。魅力的な大人が少ないから、社会に老若の分断も生まれる。

せめて、このDANTESの読者の皆さんだけは、今からでも自分を解き放ち、「魅力的な男」への道を歩んでほしい。

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(撮影・八幡宏)

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この記事のライター

大澤尚宏

大澤尚宏

リクルートを経て広告プロデューサーとして活動。1995年にバリアフリーライフ情報誌を創刊。2008年にミドル&シニア世代を対象にした「オヤノコトエキスポ」を開催し、2009年に株式会社オヤノコトネット(https://www.oyanokoto.net/)を設立。夕刊フジで毎週木曜日にコラム「人生100年時代 これから、どうする」を連載中。2020年から「日本を元気にする」をテーマに執筆やイベントコーディネート等も始めている。


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